座かんさい土曜塾2018 神戸モスク

イスラムの世界(建築を中心に)興味をもつきっかけは、40数年前のイラン国立図書館の国際コンペ(槇文彦氏も審査委員)参加以来、近代建築の一方でガウディが辺境の魅力(スペイン・ポルトガル~デンマーク・フィンランド)として注目され始めた頃と記憶している。

パフラビー国王の失脚(イラン革命)のため同好のイランツアーは成田泊、イスタンブールもイスファハーンも夢。しかし結果的に(添乗員の能力!)アテネ・アルハンブラ・バルセロナを学び、タピオラ(ヘルシンキ近郊)でタピストリーを、そして後日アズレージョタイルをリスボンで知る。

座かんさい土曜塾2018の企画検討の中で、日本の仏教(宗教上の偶像の形)やユダヤ教の話題と共に神戸モスクに注目(建築士会機関紙連載)。日本最初のモスクの調査(概要)を始めた。

『神戸モスク 建築と街と人』(宇高雄志、東方出版、2017年12月刊)参考。建設の経緯、神戸との関わり、著者の実測図・スケッチを通して 中央アジアに発した世界宗教の地域版を知ったが、モスク自体の決まり事はミフラープ(礼拝の方向ーメッカ)、ミンバル(説教壇)、ミナレット(シンボル・塔)、ドーム。

次いで、上記の本が参考にした『増補 モスクが語るイスラム史: 建築と政治権力』(羽田正、ちくま学芸文庫、2016年)。モスクの歴史を世界史の中でその位置づけを学ぶ。世界の文明発生の地での他の宗教とのせめぎ合いには至らないが、やはりイスラム寺院(モスク)も政治権力との関係が想像できた。

さらに、書店で目を引いた『「イスラム国」はよみがえる 』(文春文庫、ロレッタ・ナポリオーニ著 村井章子訳、2018年)。世界全体が情報化され、マスコミ含め何が正答(解) か不明な現代(トランプーフェイク)。著者の “ヤラセ” 的を“ 池上彰解説 ” で補完の作戦にはまった感じ。「イスラム国」が “ ユダヤ人がイスラエルを建国したように ” カリフ制(原初の)国家を実現するためのジハード(神の正義のための戦い)をシリア・イラク(第1次大戦後のオスマントルコ)で・・・。

“ イスラム系が現実の社会の中でどのような位置づけとなるのか ” の概要をマスコミとは別に(フェイクニュースと呼ばなくても)、たとえ全ての納得(合意)が得られなくても一つの筋書きを知っておくことは、諸々の事象(特に世界)の判断の上で欠かしてはならない。

【宗教の切り口】世界の主要な宗教は、多くの人々(民族・国家)の信頼に支えられ、長い歴史を持つ(地球の歴史と人類の進化過程にまで及ぶかも)。恐らく風土の恵みと天災・病等々の祈り(願い)と共にあった。もちろん各地方の権力(欲望)闘争の当事者の関りも。 

ところで「老い、活力を失い、病に伏し、死に接近する」苦にこそ人生の実相を見たのは仏教であった。自由の無限の拡大や幸福追求をむしろ苦の原因として、苦からの解脱を説いたとされ、近代社会の価値観とは全く違うものであり、苦は代替え不能な “ 個人的 ” な事態である(佐伯啓思-朝日新聞2018/2/2)。

多様な社会と言われながら “ 出口 ” はみな同様か。何故個人的な事態まで参考例が必要になるのか( マスコミによる価値観+墓シマイ等々 )。自分なりに、ささやかでよいから、ヨリドコロを見出す努力が欠かせないと思う。何よりキモチヨイ “ 記憶 ” の充実にある。

神戸モスクの価値は、世界的には辺境のコミュニティの限られた地にあって、民族的多様性を特徴とするイスラム教徒の社会により、建設(1935)より3度の危機を乗り越え、なお80数年の歴史(記憶)を刻み続けて、いわば “ 個性ある ” 神戸モスクを継承している点にあると思う。この個性は、現代の中東での、イスラム国をめぐる争いと異なり、異教徒の存在がさらに仏教( 日本人の多くが信仰する )の教えが神戸の地でブレンドされている結果にも思える。   

建築美術工芸同人 座かんさい 座長 西村征一郎

( 写真/編集 座かんさい同人 今北龍雄 )