興福寺中金堂落慶法要 2018年10月7~11日

夕方のTVニュースで各社は上記の映像を流した。3,000人参加。台風一過の晴天であったが、気温も日差しも関東の “ 異常 ” 程ではなかった。しかし久し振りのネクタイ姿で野外の群衆の中、2時間のパイプ椅子の参列は苦痛(時には秋風なしも)。

法要のプログラムは “ のどか ” なもので、正装の多川貫主のゴキゲンな挨拶(建立以来七転び八起き、300年ぶりの再建、平成30年=明治150年)に始まり、献能(楽)/献茶/献花/東大寺別当の祝辞/散華/雅楽 等々。

現在の興福寺境内は、東西南北すべて開放され門がない(明治以来奈良公園と一体なため)。各建築物は、それぞれ独立した敷地を持つように見え、連続性に欠けるが、公園内に点在するフォリー(folly、東屋) 的な計画があっても良いと思う。域内の樹木配置も景観要素としての役割を果たしていない。過去 (奈良時代) の復元 (現代建築) はともかく、公園 (子どもから高齢者、観光客を対象) としての寺院のあり方は “ 今様 ” に考える方が良い。(150年の歴史が生きる) 興福寺 “ 広場 ” として柔らかく包むということ。

演目に散華があり、屋根最上部(シビ後方)から札が撒かれ、秋風に舞う光景は “ ナルホドな ” と納得する。鴟尾(シビ)の形状を、鈴木嘉吉先生(興福寺境内整備委員会座長・元奈良国立文化財研究所長・建築史家)は、9月の講演で “ 作家の好み ” と話されたが、私には堅い印象(折れ曲がりの角度、曲線と瓦屋根の対比、等)。東大寺大仏殿の鴟尾(シビ)は “ 絵になる ” と思っているのだが…。

外観の “ 正装姿 ” に比較し、本堂内部(本来の宗教空間)は未完の印象が甚しい。もっとも建築とは、竣工時の外観は次第に老朽(劣)化し、内部は生活臭にまみれ、利用要素 (ここでは、仏像、僧、参列者、等々) の多様な混在で年輪的な魅力が増すのが通常であるが…。

建築美術工芸同人 座かんさい 座長 西村征一郎

( 写真/編集 座かんさい同人 今北龍雄 )